カテゴリー: コミュニケーション

街全体が家族って?

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過去に「街全体がホテル」というエントリーを書きました。

ある家はレセプション(受付)だけ、ある家は寝るだけ、ある食堂がレストラン、お風呂は銭湯というように、一軒のホテルの機能を街全体として提供しているという情報でした。

以下は、その「家族版」のような記事です。


血縁だけが家族なの?子育ての不安と孤独吐き出せる神戸・六間道エリアに見る拡大家族のつくり方

小笠原さんが生後2カ月の長男と夫と暮らす長屋は、六間道商店街にほど近い細い路地を入った住宅地にある。近所には、果物屋や肉屋などの個人商店が並び、生活感にあふれている。

そんな小笠原さんの家は、小学校の下校時間になると、子どもたちの声でにぎやかだ。小さな赤ん坊の長男を訪ねて、ランドセルを担いだ学校帰りの子どもたちが遊びに来るからだ。そのままご飯を食べて行く子もいる。

「息子は一人っ子ですが、すでにたくさんの兄妹がいます」と、小笠原さんは微笑む。

小学生たちは2カ月の息子を抱っこし、オムツを替え、寝かしつけまでしてくれる。夫の出張中は泊まっていってくれることも。毎日、誰か彼かが立ち寄ってはこまめに面倒を見てくれる。小笠原さん自身も「子どもと一緒に過ごすのが好き」なため、子どもたちが常に家にいるのも、ごく自然なことという。

Business Insiderより引用


すごいなぁと感心しつつ、よくよく考えると昔の日本の「村」はみんなこんな感じだった違いありません。街全体で子供を育てている感じ。

今はどちらかというと「プライバシー重視」という考え方で、生活と遊びでしっかり線を引くことが多いのでしょうが、この町ではそれが曖昧です。もちろん街の人全員がそうだという訳ではないでしょうが、この一体感を良しとしている人たちのコミュニティが街のなかにできており、コミュニティに入ってない人たちも彼らの考えをうけて入れているのだと思います。

記事の中に「適度に隣の人に関心を持っていて、でも一人ひとりの違いを大切にしながら、干渉せずに暮らしている」という文章がありました。関心と干渉は違うのだということをこの記事で認識しました。

一つ不思議なのは「干渉」の定義が共有されているのかどうかというところです。つまり「これは干渉」というものがみんなでわかり合えていて、それぞれがそうならないように行動しないとうまくいかないと思うのです。

でも、人間なので「私はこうされたら干渉」「わたしはここを越えて干渉しない」など、干渉の定義もまちまちになりそうです。もしまちまちなら干渉の考え方の違いから不快なことを感じる人が出てくるはず。

私が思うに、この街でこんな暮らし方をしていると、みんなの感覚がだんだん落ち着くところに落ち着いていくのではないかということです。もちろん完全に「干渉」の考え方が一つになることはないでしょうが、許容範囲に収まるぐらいのばらつきになっていくんでしょう。

そしてそれも時代や世代の流れに応じてゆらゆらと変化していくのだと思います。

5年後にこの記事に登場した方にお話を聞いてみたいものです。